2010/04/04

ルワンダの悲劇、その後

今晩のNHKスペシャル『アフリカンドリーム』を観ました。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100404.html

大虐殺が起こったルワンダで、
「ディアスポラ(離散者)」と呼ばれる、迫害を恐れて海外へ亡命していた人たちが
近年母国に戻ってビジネスを成功させている動きと、
いまもお互いへの憎しみが消えないフツ族とツチ族が共同でビジネスを
始めようとする動き、の二つが紹介されていました。

実はルワンダには青年海外協力隊が派遣されていて、
「ルワンダ=虐殺」のイメージが強かった私は、最初にそのことを知ったとき
「えっ、協力隊派遣して大丈夫なの!?」と驚いたのですが、
JICA(=日本政府)が協力隊を派遣しているというのは、
ある程度治安に問題のない国だという証なわけです。

その上、こうした前向きな動きが出てきているというのは嬉しいことです。


ただあんな形で殺し合った民族同士が、そんな簡単に仲良くなるというのは可能なのだろうか、
たとえばそのビジネスもうまくいっているときは問題ないと思いますが、
商売がまわらなくなったとき、もしくはささいなトラブルで
憎しみが再燃してしまわないのかと心配です。

それにしてもこのルワンダの問題を考えるとき、原因を作った張本人であるベルギーが
遠く離れた地で平和を享受しているのは何事かと恨めしく思います。
ベルギーが植民地支配する前は、両民族の間に争いはなく、
民族間での結婚も普通にあったそうです。
それを引き裂いて、消えることのない溝を作ってしまったベルギーの人たちは
この事実をどう考えているのだろう。

アジアを侵略した国の民としてあまり大口は叩けないのですが、
でも、植民地時代の旧宗主国の旧植民地への態度には閉口します。
なんというか、反省がない。

そして、ブルキナで感じたことですが、現地の人も、
旧宗主国に対してあまり「負」の感情を持っていない。
小学校の社会の授業にもぐりこんだときに驚いたのは、
ちゃんと植民地時代のフランスの侵略の歴史なんかも詳しく勉強してるんですよ。
なのに「反仏感情」が薄いのは、それだけもう「過去」のことになってしまったということなのか、
フランスの支配の仕方がまだマシだったからなのか。

少なくとも、ベルギーがルワンダでしたような民族間の対立構造を作り上げる
というような愚行をしなかっただけでも、幸いだったと思います。

3 件のコメント:

  1. 家の娘が行ったときも 銃を持った人に護られていました。
    そして頭蓋骨が並べられているのも見てきました(^_^)
     

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  2. 「すべての歴史は現代史である」って言った人がいます。彼らがおおらかに現代史を生きているのであれば、そんな国に行ってみたいなあ。きっとそれはベルギーの人も一緒かもよ。

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  3. >デジママ
    のんちゃんが行った頃に比べたらルワンダも情勢がよくなってきているのかな?
    そういえばこの間、インドネシアの母子手帳のプロジェクトでのんちゃんの前任者だという女性に会いました。「のんちゃんのいとこです」って自己紹介したら驚いてました☆

    >Keisuke
    ブルキナみたいに彼らがおおらかに現代史を生きてる場合は、あえて過去のことをほじくり返さなくてもいいと思うんだけどさ、ルワンダみたいに過去の悲劇がまだ影を落としている場合はどうなんでしょ?

    でも、植民地時代のことや虐殺の悲劇も、10年、20年経って、そのときの現代史にとって存在が薄れていたらいいね。

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