2010/03/22

15歳の君から届いた

2月に、高校時代の後輩が勤める中学校に授業をしに行ったということを書きましたが
(『15歳の君に届け』)、
先日、話を聞いてくれた3年生全員から授業の感想文が届きました。

それぞれの生徒が、私の話を自分のことに置き換えて感じたり
考えてくれたりしたことが分かる感想文が多かったのが嬉しかったです。
たとえばこんな感想文。(一部抜粋)

「今日の話を聞いて感じた事は、人生には何がおこるか分からないということでした。
僕もまだ自分の夢がはっきりと決まっていないので様々なことに参加していって
自分の将来が決まるようなきっかけがみつかるようにしていきたいと思います」

「私は将来看護師になって、患者さんを笑顔にしたいという気持ちがあるのですが
今日先生の話を聞いて、発展途上国に看護師として行ってみたいと思いました」

「私は将来外国に関する仕事をしたいと思っています。
青年海外協力隊は何をしているかや、ともこさんが海外でどんな支援をしていたかを
学んで、『こういう外国への関わり方もあるんだ』と思いました」

  *  *  *

また、外国や青年海外協力隊に興味を持ったという感想も多数。

「青年海外協力隊に興味がわいてきた。
他の国の人々とふれあって生活することがおもしろそうだと思った」

「僕は今まで全く興味がなかったけど、今日の話を聞いて海外には
いろんな言葉を話す人がいて、一つの国で60の言葉を使う国もあることを知って
すごいと思ったし、民族もたくさんあって少し不便なところもあるのではないかと思いました」

「今回の講義で(中略)僕は青年海外協力隊は発展途上国の支援以外に
外国の人々と関わって生活することで地域の人々との強い結びつきができたり
その国の文化や伝統などを深く知ることができる仕事だと分かりました」

「海外へ行くと、言語やいろんな文化が違い怖いイメージがあったが、
とてもうれしそうに笑っている写真を見て、外国へ行ってちがう世界を見てみるのもいいなぁと思った」


  *  *  *

予想以上に現地語の歌や挨拶が好評でした。

「特に印象的だったのが、モレ語の歌のノマ ノマという所のフレーズが
頭から離れないようになってしまったことです」

「一生のうちでブルキナファソへ行けることはないと思うけれど、
クラスでフルフルデ語を広めたいと思います」

3年生の担任をしている後輩から聞いた後日談では、
卒業を間近に控えた生徒がふと、
「♪ブルキナファソや~ ノマノマ~ サヤシダ~ ファソノマ~♪」
と、口ずさんでいたそうです。
授業から数週間も経っているのに、まだ覚えていてくれたとは!感動!

  *  *  * 

それから・・・。
大変恐縮なんですが、こういう感想はやはり嬉しいです。

「大人になったらともこさんのように明るく素敵な人になりたいです」

彼らを裏切らないように、私もがんばらねば・・・!


(↑地球の切り絵で作られた表紙と裏表紙。すごくかわいいんです。
しかし、なぜかこの画像、方向が縦長になって戻りません。why...??)

家族集合

この週末は、姉一家と弟一家がわが家に集まり、
庭でバーベキューしたり、世界淡水魚園水族館「アクア・トトぎふ」に行ったりしました。

もちろん主役は、3歳の甥(弟の子)と、6カ月の姪(姉の子)。
口が達者な甥は、ますます話術に磨きをかけていて
彼を口を開く度に笑いがおこります。
ジャニーズJrならぬ、よしもとJrなんてのがあれば、こっそり応募したいくらいです☆

姪もよくなついてくれて、可愛かったです。
ほっぺがぷっくり赤くて。愛嬌のある子です(^3^)=♪♪ちゅっちゅっ
次会うとき(いつ頃になるんだろ?下手すると来年!?)にはどう成長してるのかな。


みんなが帰った後も、わが家の食卓は甥と姪の話(たまーーに、姉夫婦や弟夫婦の話、笑)で持ち切り。
この週末の余韻を楽しんでいます♪

2010/03/18

「るんるん」な親

明日、仙台に住む姉一家が帰省します。
それに合わせて、明後日には愛知に住む弟一家もうちに来ます。
週末に渡利ファミリーが勢ぞろいするということで
(というより可愛い二人の孫が来るということで)、
数日前から、父も母も嬉しくてたまらないという様子です。

漫画で言うと、「るんるん」という擬態語が二人の背景で踊っているような状況です。

その日が近づくにつれ、二人の声のトーン・大きさ、笑顔の頻度・程度が
どんどんUPしていきます。孫の力は偉大だと、つくづく感じます。

私も、6か月の姪(姉の子)は産まれた直後に会ったきりなので、
久しぶりに会えるのが楽しみ♪
(毎日のように写メは届くけど実物に会うのとはちがうし)

賑やかな週末になりそうです(^∀^)



↑わが家の台所に並ぶ植物三兄弟。受け皿がトレーなのはご愛嬌ということで☆

↑一番右のランの一種(>デジママ、合ってますか?おばあちゃんに聞いてみてください)が、白い花を咲かせました。手前のつぼみは、三日月の形をしていてかわいいのです。

↑真ん中の観葉植物、「雑草」が放置されてます。でも、よく見ると小さなクローバーみたいでかわいいし、光を求めて外にがんばって伸びている様子も健気です。だから母上も抜けないのかな?

↑庭の沈丁花を少しいただいて部屋に飾りました。お客さんが来るので臭い消しです・・・。とか言って。?

2010/03/17

召し上がれ~



家のおやつの時間に母親にこうやって出したら、
くすりと笑った後、躊躇なくぼりぼり食べてました。

(一応、かりん糖とドーナツ)

2010/03/15

これはいかがなものかと

「渡り廊下走り隊」
http://watarirouka.com/profile/index.html

AKB48から派生した、平均年齢16歳のグループだそうです。
こういうアイドルの存在を否定するわけではないんだけど、
というか、むしろおもしろいと思ってるくらいなわけですが、

しかし、しかし。

このネーミングはちょっとどうなんですかねえ・・・(-◇-;)

小学生のとき、同級生の男子にたまに
「わたり廊下」と呼ばれてた私がはっきり言わせてもらいますが、

  超ダサイ~・・・
  この子たちが可哀そうになってくるくらい、ダサイ~・・・

きっと秋元康が思いつきで決めたんだろうなあ。


ちなみに4thシングルのタイトルは、「あっかんべー橋」。

 ・・・・(笑い、のち涙)

「渡り廊下走り隊」のみなさん、めげずに頑張ってください。

2010/03/14

朦朧ともちゃん

「季節の変わり目、どうかご自愛ください」

なんて人には書いておきながら、
見事に風邪でダウンしてしまいました。

とにかく頭が痛くて、体が思うように動かなくて、
金曜の晩に職場から帰るときは朦朧としていました。

翌日には高校の部活の先輩の結婚式があり、
二次会に招待されていました。
行けるか心配していたのですが、出かける直前まで寝てたらなんとか復活。

「なんとか復活」してしまったのがよくなかったのか、
二次会では調子に乗り、お酒を「少々」。
帰りにはまた気分が悪くなり、今朝も頭痛が少しします(大馬鹿ですな)。


頭痛といえば、間違って、「頭痛で~」
なんて言っちゃったりすることもあるかと思うのですが、
当時高1で柔道をやっていたうちの弟が、

「おれ、頭痛でさ~」

なんて、「間違うにも程があるだろ!」とツッコミを入れたくなるような
アホ発言をしたのを思い出します。


話は戻りますが、先輩の結婚式二次会は、
道路交通情報センターのお姉さんが見事な司会をされて、
あっという間の楽しい2時間でした。
先輩のお嫁さんも、笑顔のかわいい家族想いな子で、
いい子を見つけたな~とつくづく。

こういういい子から「売れて」いくんだな、うんうん、
ということは、私は・・・・・?

うーん、こういう話を書くと、デジママ(叔母)からまたお叱りがきそうだから
ここらでやめときましょう(笑)


今日は昼からJICA中部で今派遣中の協力隊員のご家族に対して
ブルキナの話をしてきます~
やはり頭がまだ「頭痛」だから、ギリギリまで寝ておこう・・・

みなさま、おやすみなさい。

2010/03/10

まだ返すの!?

一足先に、先月のバレンタインデーのお返しをしました。
お相手は、隔週月曜日に職場の掃除に来てくれる
「てるちゃん」という「超」がつくほどおしゃべり好きなおばちゃん。
(掃除をしに来てくれているのか、私たちとおしゃべりしに来ているのか
いつも分からなくなる。)

バレンタインに女子(一応、ね)も含めてたくさんチョコレートをもらったので
みんなでそのお返しにと、クッキーを渡しました。

すると。

その翌日、てるちゃんはお掃除の日じゃないのに職場にやってきて、
「これホワイトデーのお返しやて」
と言って、私たちがプレゼントした「お返し」の倍の量の
お菓子を置いていきました。

お返しの、さらにお返しをもらった私たちは、
さて、またそのお返しをしなければいけないのでしょうか・・・。

でもお返しをしたらしたで、てるちゃんはまた「そのお返し」と言って
お菓子を持ってきてくれそうだし、そうなったら私たちの行き着く先は
肥満と虫歯だなー(苦笑い)なんて話を今朝、親にしていたら、
朝刊を読んでいた父親が、こんな記事を発見しました。


(朝日新聞朝刊 岐阜県版)

『ホワイトデーのお返しにいかが』と、ミニバラをPRする記事・・・。

ホワイトデーのお返しの日、仮に「ローズデー」としましょう、
ローズデーが当たり前のように祝われる日もそんなに遠くないかもしれません!?


(そういえば韓国では、4月14日を「ブラックデー」として、
バレンタインデーやホワイトデーの恩恵にあやかれなかった人が
黒い冷麺か何かをすするのだそうです。わ、私も参戦せねば・・・!?)

2010/03/09

好きなことを仕事にする

今日、仕事の後にこんなビジネスセミナーに参加してきました。

逆境からビジネスを創り出す起業・経営法

会場は超満員で、ビジネスマン男性が8割。
登壇された講演者・パネリストの話がめちゃ熱くておもしろかったので
夢中になって聞き入っていました。

3人ともまったくちがう業種の社長さんをされているのですが、
共通しているのは、自分が好きなことをとことん突き詰めていった結果
ビジネスに成功している点。

いくつものボロ倉庫をおしゃれカフェに変身させた佐藤裕久さん曰く、
「どうせ一日の8割以上の時間を仕事に費やすんだから
本当に好きなこと、自分が誇りを持てること、心から愛せることをやりたい」。


孔子さんが「三十にして立つ(『論語』)」と言っていますが、
三十になる今年、私が選ぼうとしている道に、
私はどれだけ心をこめることができるのだろう。
十年後、私は「不惑」の境地に立てているのだろうか。


悩めるミソジ一歩手前のともちゃんでした。
ぐだぐだ悩んでる暇あったらちょっとでも前に進む努力すればいいのにね。
いや、してるか。

ん、どうだろ・・・。

・・・


(上の文と全然関係ないですが。↓)

↑先日、いつも食べさせてもらっているお礼ともろもろのお祝いを含めて、家でごはん作って親に振る舞いました。御馳走を作ると言うと、いつも巻き寿司になってしまうワンパターンな私・・・。ブルキナにいるときも、日本人のお客さんが来る度に巻き寿司作ってたよな・・・。うーん。進歩がない。(そういえば母も、御馳走作るとなると、いつもチラシ寿司になります。レパートリー少ないのは母親譲り!?)
今回初チャレンジはアボガドとまぐろのサラダ☆まずく作りようがないメニューだけど、ちゃんとおいしかったです。

2010/03/02

いやーん




ブルキナファソの恋人、ジュール君の近影です。
現地にいる隊員・ミツマメが送ってくれました。(merci!!)

なんでこんなに可愛いかなあ、ジュールは・・・(*´ω`*)~*

2010/03/01

パチンコ屋の息子O君

先日、親と食卓を囲んでいて、
パチンコ屋と結婚した女優たちの話題が上ったとき、母が、

「そういえばともちゃんの同級生にパチンコ屋の息子がいたじゃない」

と言い出した。

そういえば、・・・いた。
3年生の1年間だけ過ごした小学校の同級生、O君。

パチンコ屋の息子だったのか、子どもの時分にはよく分からなかったが、
とにかく、社長の息子で、クラスの子の中で一番大きな家に住んでいたのは覚えている。

一度か二度、クラスの子たちと彼の家に遊びに行ったこともある。
当時、2DKの古い社宅に暮らし、8畳程度の和室に家族5人で寝ていた私には、
高い塀に囲まれた2階建ての家に自分の部屋を持つO君は、特別な光を放っていた。

ちびまる子ちゃんが花輪くんを見るのと同じまなざしで、O君を見ていた。


その後、私は転校し、そこから5km離れたいまの家に落ち着いた。
私たちが住んでいた社宅は数年後に更地にされ、いまは公営の駐車場になっている。


先日、その近くの歯医者に行った際、記憶を頼りにO君の家を探してみた。
自転車でぐるぐるまわってみたけど、見つからなかった。

O君は今頃どうしているのだろうか。パチンコ屋を継いでいるのだろうか。


  *  *  *

当時から20年経って思うが、私は育った場所があの社宅でよかったと思う。
3階建てが6棟連なり、奥に小さな公園が一つある、ごく普通の社宅。
生まれてから5歳まで、また8歳から9歳まであの社宅で育った。
(5~8歳は別のところに住んでいた)


小さい頃の写真を見ると、私はいつもいろいろな大人や子どもに囲まれている。
姉や弟とも仲が良く、よく一緒に遊んだ。
社宅の公園の鉄棒で、夏の暑い日に姉が私と弟に逆上がりの猛特訓をしてくれたことなど、
思い出が山のようにある。
(ちなみに私が弟より一日だけ早く逆上がりを習得。姉のメンツは保たれた)


確かO君は一人っ子だった。
高い塀に囲まれた2階建てのコンクリートの家に、自分の部屋を持ち、
本人もお母さんも、いつも高そうな服を着ていた。
習い事もいくつかしていた。

当時はあんなに憧れたO君の境遇。
今になって思うと、O君は恵まれていたけど、
同時に私には分からない思いを抱えていたのかなと、ちょっと想像してみる。