2010/03/01

パチンコ屋の息子O君

先日、親と食卓を囲んでいて、
パチンコ屋と結婚した女優たちの話題が上ったとき、母が、

「そういえばともちゃんの同級生にパチンコ屋の息子がいたじゃない」

と言い出した。

そういえば、・・・いた。
3年生の1年間だけ過ごした小学校の同級生、O君。

パチンコ屋の息子だったのか、子どもの時分にはよく分からなかったが、
とにかく、社長の息子で、クラスの子の中で一番大きな家に住んでいたのは覚えている。

一度か二度、クラスの子たちと彼の家に遊びに行ったこともある。
当時、2DKの古い社宅に暮らし、8畳程度の和室に家族5人で寝ていた私には、
高い塀に囲まれた2階建ての家に自分の部屋を持つO君は、特別な光を放っていた。

ちびまる子ちゃんが花輪くんを見るのと同じまなざしで、O君を見ていた。


その後、私は転校し、そこから5km離れたいまの家に落ち着いた。
私たちが住んでいた社宅は数年後に更地にされ、いまは公営の駐車場になっている。


先日、その近くの歯医者に行った際、記憶を頼りにO君の家を探してみた。
自転車でぐるぐるまわってみたけど、見つからなかった。

O君は今頃どうしているのだろうか。パチンコ屋を継いでいるのだろうか。


  *  *  *

当時から20年経って思うが、私は育った場所があの社宅でよかったと思う。
3階建てが6棟連なり、奥に小さな公園が一つある、ごく普通の社宅。
生まれてから5歳まで、また8歳から9歳まであの社宅で育った。
(5~8歳は別のところに住んでいた)


小さい頃の写真を見ると、私はいつもいろいろな大人や子どもに囲まれている。
姉や弟とも仲が良く、よく一緒に遊んだ。
社宅の公園の鉄棒で、夏の暑い日に姉が私と弟に逆上がりの猛特訓をしてくれたことなど、
思い出が山のようにある。
(ちなみに私が弟より一日だけ早く逆上がりを習得。姉のメンツは保たれた)


確かO君は一人っ子だった。
高い塀に囲まれた2階建てのコンクリートの家に、自分の部屋を持ち、
本人もお母さんも、いつも高そうな服を着ていた。
習い事もいくつかしていた。

当時はあんなに憧れたO君の境遇。
今になって思うと、O君は恵まれていたけど、
同時に私には分からない思いを抱えていたのかなと、ちょっと想像してみる。

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